写真(しゃしん)ぬ奥(をぅく)んかいある北橋(にしばし)え早(ふぇえ)くに壊(くう)りてぃ、くがたんかいある南橋(ふぇえばし)え沖縄戦(うちなあいくさ)んじ壊さったるむぬやしが、何(じ)ん、再造(またづく)いせえるむぬやん。
又(また)、石道(いしみち)や浦添城(うらしいぐしく)から首里城(しゅいぐしく)迄(までぃ)繋(ちな)じょうたる宿道(しゅくみち)やたんでぃぬ事(くとぅ)やしが、くりん沖縄戦んじ壊さったん。
沖縄(うちなあ)ぬ宿道え、まあん、いっそうから沖縄戦んじ壊さってぃ、今(なま)あ、欠(か)きぬ如(ぐとぅ)、ちんぢんとぅどぅ残(ぬく)とおる。
くまりかあや上(ぬぶ)い下(くだ)いぬ強(つう)さる道(みち)どぅなとおしが、昔(んかし)え、うぬ道びけんがどぅ首里(しゅい)んかい行(い)ちゅる道やたくとぅ、陸道(あぎみち)から下(くだ)てぃ来(ち)ゃる薩摩軍(さつまいくさ)ぬ本隊(たし)んくぬ道、通(とぅう)てぃどぅ首里んかい攻(し)みてぃ行(ん)じゃんでぃ言らっとおん。
琉球国代(るうちゅうくくゆう)や橋下(はししちゃ)ぬ小湾川(赤皿川んでぃ言ん)からあ清水(ちゅらみじ)ぬ流(なが)りやあい、当(あ)たい前(めえ)、飲(ぬ)まりいたんでぃぬ事(くとぅ)やん。
【語句】
くぬ安波茶橋え尚寧王が造えたるむんでぃ言らっとおん=この安波茶橋は尚寧王が建造したとされている。
写真ぬ奥んかいある北橋え早くに壊りてぃ=写真の奥にある北橋は戦争以前までに壊れ、
くがたんかいある南橋え沖縄戦んじ壊さったるむぬやしが=こちら側の南橋は沖縄戦で壊されたのであるが、
何ん、再造いせえるむぬやん=いずれも、再建したものである。
又、石道や浦添城から首里城迄繋じょうたる宿道やたんでぃぬ事やしが=また、石畳道は浦添城と首里城を繋ぐ街道(幹線道路)だったのことだが、
くりん沖縄戦んじ壊さったん=これも沖縄戦で破壊された。
沖縄ぬ宿道え、まあん、いっそうから沖縄戦んじ壊さってぃ=沖縄の昔の街道は、どこも片っ端から沖縄戦で破壊され、
今あ、欠ぬ如、ちんぢんとぅどぅ残とおる=現在は欠片のようにぽつりぽつりと残っているだけである。
くまりかあや上い下いぬ強さる道どぅなとおしが=ここら辺は上下の激しい道なのであるが、
昔え、うぬ道びけんがどぅ首里んかい行ちゅる道やたくとぅ=昔はその道でしか首里に行けなかったので、
陸道から下てぃ来ゃる薩摩軍ぬ本隊んくぬ道、通てぃどぅ=陸路を下ってきた薩摩軍の本隊もこの道を使って、
首里んかい攻みてぃ行じゃんでぃ言らっとおん=首里へ攻めて行ったとの事である。
琉球国代や橋下ぬ小湾川(赤皿川んでぃ言ん)からあ清水ぬ流りやあい=琉球国時代は橋下の小湾川(赤皿川ともいう)は清水が流れ、
当たい前、飲まりいたんでぃぬ事やん=当然、飲めたとのことだ。
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