玉陵東番所(那覇市首里)

玉陵東番所(小).jpg
 第二(でえに)尚氏(しょううじ)ぬ墓(はか)やる玉陵(たまうどぅん)ぬ入口(いいぐち)ぬ東(あがり)むてぃいんかいあん。
 戦前迄(いくさめえ)え、どぅくぐまさぬ龕(がん)とぅか葬式道具(そうしちどうぐ)、置(う)ちゅるあたいぬ家小(やあぐゎあ)がやらんでぃ思(うま)あっとおたんでぃぬ事(くとぅ)やしが、2000年(にん)んじぬ調(しら)びなかい、写真(しゃしん)ぬ如(ぐとぅ)やたる事ぬ分(わ)かやい、復建(まただ)てぃせえるむぬやんでぃぬ事。
 うぬばす分かたる事お西(いり)ぬ番所(ばんじゅ)ぬ図面とぅ丁度(ちょうどぅ)、たんかあ造(づく)いさっとおたんでぃぬ事。
 西ぬ番所ぬあたる所(とぅくる)お、今(なま)あ、入場受付所(うきちき)どぅなとおしが、昔(んかし)え焼香(すうこう)しいが来(ち)ゅうる女部(うみないび)ぬ控(ふぇけ)え所(どぅくる)なとおたんでぃぬ事。
 あんしいねえくぬ東番所(あがりばんじゅ)お、墓ぬ番(ばあん)さあとぅか按司部(あじび)とぬ控え所んやたる筈(はじ)んでぃん思(うま)ありゆん。
 やしが番所役人(やくにん)ぬん肝忙(ちむいちゅな)しむんやたる筈(はじ)。だあ、祀(まち)らっとおる人(ちゅ)ん達(ちゃあ)や一人(ちゅい)なあ一人なあ亡(まあ)ちょおる年月日(にんぐゎっぴ)ぬ変(か)わゆい…。

【語句】
第二尚氏ぬ墓やる玉陵ぬ入口ぬ東むてぃいんかいあん=第二尚氏の墓である玉陵入口の東側にある。
戦前迄え、どぅくぐまさぬ龕とぅか葬式道具=戦前まではあまりにも小さいので(二間ほど)、龕など葬式用具を
置ちゅるあたいぬ家小がやらんでぃ思あっとおたんでぃぬ事やしが=保管する小屋ぐらいに思われていたとのことだが、
2000年んじぬ調びなかい、写真ぬ如やたる事ぬ分かやい=2000年の発掘調査で写真のようだっとわかり、
復建しちゃんでぃぬ事やん=復元したのとのことである。
うぬばす分かたる事お西番所ぬ図面とぅ丁度=そのとき分かったことは、西番所の図面配置と丁度、
たんかあ造いさっとおたんでぃぬ事=東西対に造られていたとのことである。
西番所ぬあたる所お、今あ、入場受付所どぅなとおしが=西番所があった場所は今は入場受付書になっているのだが、
昔え焼香しいが来ゅうる女部ぬ控え所なとおたんでぃぬ事=往時は法事に参加する貴婦人の控え所だったとのことだ。
あんしいねえくぬ東番所お、墓ぬ番さあとぅか按司部ぬ=そうであるなら、この東番所は墓の管理人や貴族・役人らの
控え所んやたる筈んでぃん思ありゆん=控え所でもあったかもしれないと思う。
やしが番所役人ぬん肝忙しむんやたる筈=だけど、管理人も気苦労したかもしれない。
だあ、祀らっとおる人ん達や一人なあ一人なあ亡ちょおる年月日ぬ変わゆい…=だって、祀られている人は一人一人、死亡年月日が異なるし…。

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