「インヌミ収容所」からぬ眺み(沖縄市)

インヌミ収容所小.jpg
 戦後(いくさあとぅ)、インヌミ収容所(しゅうゆうじゅ)んでぃゆる所(とぅくる)ぬあたしが、インヌミえ「犬(いん)ぬ目(みい)」でぃぬ意味(ちむええ)やんでぃ言(い)らっとおん。
 やしが、生(い)ち物(むし)ぬ名(なあ)から由来(ゆれえ)する地名(じいんなあ)や、じょうい、沖縄風儀(うちなあふうじい)やあらん。
 地名ぬ話(はな)しや措(う)ち、インヌミんでえ中部(なかぐみ)まんぐらんじえ、「蚤(ぬみ)」ぬ意味(ちむええ)。
 収容所んかい入(い)りらっとおる人(ちゅ)ん達が(ちゃあ)インヌミとぅ闘(たたか)とおる風儀ぬ思(うみ)い浮(う)かぶん。
 我(わん)ねえ戦後(いくさあとぅ)ぬ生(ん)まりどぅやしが、小学生(しょうがくしい)時分迄(じぶんまで)え、冬(ふゆ)ぬしてぃみてぃ、起(う)きいねえ、米軍(びいぐん)から下(さ)ぎむんやたる毛布(もうふ、キットゥ)んかい縋(しが)とおるちゃっさきいぬインヌミ、殺(くる)すしがる常(ちに)やたる。
 大指(うふいいび)ぬ爪(ちみ)え、いいくる、血(ちい)だらかあ。
 うぬ侭(まま、まあまあ)、学校(がっこう)んかい行(ん)じゃん。
 うんな有様(ありさま)あ戦後ぬ沖縄(うちなあ)ぬ風儀(ふうじ)やたしが、若者(わかむ)ぬんかい話(はな)しいし、聞(ち)かちん、目(みい)ぱちぱちいびけんどぅする。

筆:比嘉清。

戦後、インヌミ収容所んでぃゆる所ぬあたしが=戦後、インヌミ収容所というところがあったが、
インヌミえ「犬ぬ目」でぃぬ意味=インヌミとは、「犬の目」の意味
やんでぃ言らっとおん=言われている。
やしが、生ち物ぬ名から由来する地名や=だが、動物の名に由来する地名というのは、
じょうい、沖縄風儀やあらん=決して、沖縄的(慣習)ではない。
地名ぬ話しや措ち、インヌミんでえ=地名の事はさておき、インヌミとは
中部まんぐらんじえ、「蚤」ぬ意味=中部あたりでは、「蚤」の意味である。
収容所んかい入りらっとおる人ん達が=収容所に収容された人々が
インヌミとぅ闘とおる風儀ぬ思い浮かぶん=蚤と格闘する風景が思い浮かぶ。
我ねえ戦後ぬ生まりどぅやしが、小学生時分迄え=私は戦後生まれなのだが、小学生頃までは
冬ぬしてぃみてぃ、起きいねえ、米軍からぬ=冬の朝、起床すると、米軍からの
下ぎむんやたる毛布んかい縋とおるちゃっさきいぬ=払下げ毛布に付いていた夥しい数の
インヌミ、殺すしがる常やたる=蚤を殺すのが日課であった。
大指ぬ爪え、いいくる、血だらかあ=親指の爪はいつも血だらけ。
うぬ侭、学校んかい行じゃん=そのままの姿で登校した。
うんな有様あ戦後ぬ沖縄ぬ風儀やたしが=こうした状況は戦後沖縄の風物詩であたのだが、
若者ぬんかい話しいし、聞かちん=(今の)若者に話をして、聞かしても、
目ぱちぱちいびけんどぅする=目をぱちくりさせりだけである。

筆:比嘉清。

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