今(なま)あくぬ拝所(うがんじゅ)んまぎく、造(つく)い変(け)えらっとおん。童(わらび)ぬばすお、ぐまあ小(ぐゎあ)がやたら気(ちい)に付(ち)かんたん。
「土帝君(公)(トィーティークー)」んでえ、たんめえぬ姿(しがた)そおる人形(にんじょう)どぅやしが、うちなあんじえ「農(はる)ぬ神」んでぃん「地(ぢい)ぬ神」んでぃん崇(あが)みらっとおん。
元(むと)お唐(とう)ぬむんやん。
戦前(いくさめえ)やまあにん祀(まち)らっとたんでぃしが、今(なま)あいきらくなとおんでぃちん、くまぬ札文(ふだぶん)にゆいねえ47体(てえ)びけえ見(み)い分(わ)かさっとんでぃぬ事(くとぅ)。
清明祭(しいみい)んあんやしが、うちなあぬ拝(うが)ん事(ぐとぅ)ん風儀(ふうじ)ん、いいくる唐風儀(とうふういい)やる事ぬ分(わ)かゆん。
やしが、なあシマジマんかいや、根人(にいんちゅ)(根神(にいがみ))ん居(をぅ)たい、またうぬ上(うゐい)んかいやヌウルん居たん。
あんし、聞得大君(ちふぃじん)や一番上(いちばんうゐい)ぬっ人(ちゅ)。
王(おう)とぅ大名(でえみょう)や仏教(ぶっちょう)ん拝(うが)どおたい、沖縄(うちなあ)ぬ拝ん事お、まちぶかあぶいそおん。
筆:比嘉清。
今あくぬ拝所んまぎく、造い変えらっとおん=現在はこの拝所も造り変えられている。
童ぬばすお、ぐまあ小がやたら気に付かんたん=子供の頃は、小さかったのか、気付かなかった。
「土帝君(公)」とはたんめえぬ姿そおる人形どぅやしが=「土帝君」とは翁の姿をした像だが、
うちなあんじえ「農ぬ神」んでぃん「地ぬ神」んでぃん=沖縄では「農業神」とも「土地神」とも
崇みらっとおん。元お唐ぬむんやん=崇められている。元は中国のものである。
戦前やまあにん祀らっとたんでぃしが=戦前はどこにでも祀られていたとのことだが、
今あ、いきらくなとおんでぃちん、くまぬ=現在は少なくなっているとはいえ、ここの
札文にゆいねえ47体びけえ=札文によれば、47体ほどが
見い分かさっとんでぃぬ事=確認されているとのことだ。
清明祭んあんやしが、うちなあぬ拝ん事ん風儀)ん=清明祭もそうであるが、沖縄の宗教・風俗も
いいくる唐風儀やる事ぬ分かゆん=大抵、中国風であることが分かる。
やしが、なあシマジマんかいや、根人(根神)ん居たい=だが各村落には根人(根神)もいたし、
またうぬ上んかいやヌウルん居たん=またそれらの上にはノロがいた。
あんし、聞得大君や一番上ぬっ人=そして聞得大君(王府の)はかれらの最高神だった。
王とぅ大名や仏教ん拝どおたい=王家と譜代(の按司)は仏教の信者でもあったし、
沖縄ぬ拝ん事お、まちぶかあぶいそおん=沖縄(琉球国)の宗教は混み入っていたようだ。
筆:比嘉清。
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