久高島ぬ集落風景(南城市久高島)

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 久高島(くだかじま)ぬシマ内(うち)え、本島(うふじ)ぬ田舎(いなか)とぅなんぞお変(か)わらのおあしが、屋敷囲(やしちがく)いぬ石垣(いしがち)え、首里(しゅい)ぬ昔石垣(んかいいしがち)ねえし、重(んぶ)らあさん。
 かあま昔、島んかい参詣(さんちい)しいがめんそおちゃる御主加那志前(うしがなしいめえ)、御取持(うとぅいむち)いさる歴史(りちし)ぬある名残(なぐい)いがやら。
 竹富島(だきどぅんじま)んでえぬシマぬ石垣ぬ積(ち)みい様(よう)とお、むさっとぅ変(か)わゆん。
 島んかいやお200人余(にひゃあくにんあま)いが住(し)どおんでぃぬ事(くとぅ)やしが、道(みち)んじ行会(いちゃ)ゆる人(ちゅ)お、いいくる観光客(みいむんちゃく)びけんどぅやる。
 標識(みちしるび)そうな物(むの)お、とぅめえい難(ぐり)くとぅ、地図(ちず)見(ん)ちどぅ回(みぐ)らりいる。
 うりかあや、いふぇえ不便やん。
 ヌウルぬ屋敷ん今(なま)ちきてぃあしが、王府(くうじ)からぬ禄(るく)ぬ無(ね)えんていん、神拝(かみうが)んや継(ち)がりやい、むとぅうちょおん。
 やしがイザイホー祭(まちい)や1978年(にん)んじ、さったる後(あと)お、なあ催(むゆう)さってえ居(をぅ)らん。

筆:比嘉清。

久高島ぬシマ内え、本島ぬ田舎とぅなんぞお=久高島の集落内は本島の田舎とあまり
変わらのおあしが、屋敷囲いぬ石垣え=変わらないが、屋敷を囲う石垣は、
首里ぬ昔石垣ねえし、重らあさん=首里集落の昔の石垣のように趣がある。
かあま昔島んかい参詣しいがめんそおちゃる御主加那志前=ずっと昔、島に参詣しに訪れた王様を
御取持いしちゃる歴史ぬある名残いがやら=持て成した歴史の名残なのであろうか。
竹富島んでえぬシマぬ石垣ぬ積みい様とお=竹富島等の集落の石垣の積み方とは全く異なる。
島んかいやお200人余いが住どおんでぃぬ事やしが=島には凡そにニ百人余が住むとの事だが、
道んじ行会ゆる人お、いいくる観光客びけんどぅやる=道で出会う人は殆ど観光客である。
標識そうな物お、とぅめえい難くとぅ=標識の類は、見つけ難い(あるいは無いのか)ので、
地図見ちどぅ回らりいる=地図を見ながら周遊するのである。
うりかあや、いふぇえ不便やん=そこは、少し不便である。
ヌウルぬ屋敷ん今ちきてぃあしが、王府からぬ禄ぬ=ノロ屋敷は今にあるが、王府からの禄が
無えんていん、神拝んや継がりやい、むとぅうちょおん=無くても宗教は受け継がれ続いている。
やしがイザイホー祭や1978年んじ、さったる後お=だが、イザイホー祭は1978年を最後に
なあ催さってえ居らん=行われていない。

筆:比嘉清。



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