くぬ写真(しゃし)ぬんまた、再(また)ぎれえぬ最中(さなか)やる百浦添(むんだしい)囲(かく)てぃ造(つく)らっとおる外(はん)し屋(やあ)ぬ二階(にいけえ)から抜(ぬ)じぇえるむぬやん。
やくとぅ、くぬ景色(ちいち、ちしち)ん、先週(しんしゅう)とぅ写真とぅ同(い)ぬむん、今(なま)ぬ暇(まあどぅ)どぅ抜がりる景色やん。
写真ぬ中(なか)むてぃいぬ彼方(あがた)ん見(み)ゆしえ、歓会門(あめやうじょう)なとおん。
右(にじり)ぬ門(じょう)や城(ぐしく)ん人(ちゅ)ぬ出(ん)じたい入(い)っちゃいそおたる久慶門。
直(し)ぐ前(めえ)や供屋(とぅむや)。
一番左(いちばんふざい)むてぃいや漏刻門。
かあま彼方あ、那覇(なあふぁ)ぬ町(まち)。今(なま)あ諸(むる)、いいくるスラブ屋(やあ)、コンクリート屋やしが、昔(んかし)え町方(まちがた)あ瓦家(かあらやあ)、田舎(いなか)ぎさる所(とぅくる)お茅家(がややあ)どぅやたる筈(はじ)やくとぅ、眺(なが)みえ、当(あ)たい前(めえ)、あい変(か)わとおん。
世(ゆう)とぅとぅむに風景(ちしち)ぬ変わてぃちゅしえ、当たい前やしが、昔物(んかしむん)残(ぬく)ちいかんすぬ肝(ちむ)お、又(また)、実(じち)え自(どぅう)ぬ事(くとぅ)、知(し)らんでぃすぬ肝持(ちむむ)ちとぅ同ぬむぬおあらに。
うんな肝心(ちむぐくる)ぬありわる人(ちゅ)お豊(ゆた)かなゆる。
文:比嘉清。
くぬ写真ぬんまた、再ぎれえぬ最中やる百浦添囲てぃ=この写真も又、再建中の正殿を囲って
造らっとおる外し屋ぬ二階から抜じぇえるむぬやん=建てた仮設建物の二階から写したものでだ。
やくとぅ、くぬ景色ん先週とぅ写真とぅ同ぬむん=だから、この景色も先週のものと同じく、
今ぬ暇どぅ抜がりる景色やん=今回のような機会にしか撮れないものである。
写真ぬ中むてぃいぬ彼方ん見ゆしえ歓会門なとおん=写真の中央の向こうに見えるのは歓会門だ。
右ぬ門や城ん人ぬ出じたい入っちゃいそおたる久慶門=右側の門は官人が出退勤していた久慶門。
直ぐ前や供屋。一番左むてぃいや漏刻門=すぐ前は供屋。一番左側には漏刻門。
かあま彼方あ那覇ぬ町。今あ諸、いいくるスラブ屋=ずっと向うは那覇。現在は殆ど、スラブ屋に
コンクリート屋やしが、昔え町方あ瓦家=コンクリート住宅なのだが、昔は町方は赤瓦家、
田舎ぎさる所お茅家どぅやたる筈やくとぅ=田舎のような所は茅家だった筈であるから、
眺みえ、当たい前、あい変わとおん=眺めは、当然ながら、激変してる(だろう)。
世とぅとぅむに風景ぬ変わてぃちゅしえ当たい前やしが=時代と共に風景が変化するのは当然だが
昔物残ちいかんすぬ肝お又実え自ぬ事=昔のものを残していこうとする心は、実はまた自分の事を
知らんでぃすぬ肝持ちとぅ同ぬむぬおあらに=知ろうとする心と同じなのではないのか。
うんな肝心ぬありわる人お豊かなゆる=そういう精神があってこそ、人間は豊かになれるのである。
文:比嘉清。
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