高離節ぬ碑(うるま市)

高離島物知らしぬ碑小.jpg
宮城島(なあぐしきじま)や又(また)高離島(たかはなりじま)んでぃん言(ゆ)ん。
 宮城島ぬ森(むい)ぬ頂(ちじ)まんぐらんかいシヌグ堂原(ばる)んでぃ言る所(とぅくる)ぬあん。
 シヌグ堂や浜比嘉島(ばまふぃじゃじま)んかいあしが、あまとぅぬ関(かかわ)いや分(わ)からん。
 んまんかい「高離節」ぬ碑(ふぃい)(物知(むぬし)らしぬ碑)ぬ建(た)てぃらっとおん。
「高離島や物知らせどころ にゃ物知やべたん 渡(わた)ちたばうれ」んでぃち書(か)かっとおん。
 くまうとおてぃぬ「物」んでえ、「物事(道理、苦労)」んでえぬ意味(ちむええ)。
 作者(つくてえるっちゅ)や平敷屋朝敏ぬ妻(とぅじ)、真亀(まがみ)やんでぃぬ事(くとぅ)。
 夫(うとぅ)が王府(くうじ)んかい「害(げえ)」しちゃる罪(ちみ)なかいく死罰(しにばち)とぅなたる後(あとぅ)、宮城島んかい流(なが)っさたるばすが作(つく)たる琉歌(うた)やん。
 島寂(しまちゃ)びぬ苦労(くろう)、ちゅふぁあら知(し)っちゃる真亀ぬ故郷(シマ)んかい戻(むどぅ)い欲(ぶ)しゃそおる思(うみ)い、表(あら)わちゃおん。
 やしが、真亀やくぬ島(しま)んじ39才(さんじゅうく)ぬばすけえ亡(ま)あちゃん。

筆:比嘉清。


宮城島や又高離島んでぃん言ん=宮城島は高離島ともいう。
宮城島ぬ森ぬ頂まんぐらんかい=宮城島の森の頂上付近に
シヌグ堂原んでぃ言る所ぬあん=シヌグ堂原という所がある。
シヌグ堂や浜比嘉島んかいあしが=シヌグ堂は浜比嘉島にもあるが、
あまとぅぬ関いや分からん=むこうのそれとの関係は分からない。
んまんかい「高離節」ぬ碑(物知らしぬ碑)ぬ建てぃらっとおん=そこに高離節)(物知らせの碑)の碑が建っている。
「高離島や物知らせどころ にゃ物知やべたん=「高離島は物知らせ所 もう苦労を十分知りました
渡ちたばうれ」んでぃち書かっとおん=(どうか故郷に)渡らしてください」と書かれている。
くまうとおてぃぬ「物」んでえ「物事(道理、苦労)」んでえぬ意味=ここでの「物」とは「道理苦労」等の意味である。
作者や平敷屋朝敏ぬ妻、真亀やんでぃぬ事=作者は平敷屋朝敏の妻、真亀だとのこと。
夫が王府んかい「害」しちゃる罪なかいく=夫が王府に「逆った」罪で
死罰とぅなたる後、宮城島んかい流っさたるばすに作たる琉歌やん=死罪となった後、宮城島に流されたときに作った琉歌である。
島寂びぬ苦労、ちゅふぁあら知っちゃる真亀ぬ=不便な離島の苦労を思い知らされた真亀の
故郷んかい戻い欲しゃそおる思い、表わちゃおん=故郷へ帰りたい思いを表している。
やしが、真亀やくぬ島んじ39才ぬばすけえ亡あちゃん=だが、真亀は当地で39才で亡くなった。

筆:比嘉清。

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