与那原「湾」(南城市)

あ与那原湾smal.jpg

 実(じち)え「与那原湾(ゆなばるわん)」でぃゆる名(なあ)ぬ「湾(まがい)」や無(ね)えらん。
 南城市ぬ北側(にしむてぃい)からぬ湾や諸(むる)、中城湾んでぃ言(い)でぃちょおん。
 元々(むとぅむとぅ)、与那原ぬ浜(はま)あ遠浅(とぅうあさ)やたくとぅ、埋(う)み立(た)てぃらってぃ、「東浜」っす地(じい)ぬ名付(なあじ)きらってぃ、人(ちゅ)ん達(ちゃあ)ぬ住(し)むる所(とぅくる)とぅなやい、はねえちょおん。
 うちなあんちゅお、住(し)み所とぅしちぇえ、海端(うみばた)とぅか平原(とうばる)どぅましそおる風儀(ふうじ)なてぃ、南城市ぬ奥(うく)んかい早(ふぇえ)くに造(つく)らったる「新村(みいむら)」「つきしろのまち」や今(なあ)ちきてぃ、はねえちぇえうらん。
 昔(んかし)え高台(たかどぅくる)んかいや、大概(いいくる)、按司(あじ)ぬ居(をぅる)る城(ぐしく)ぬあたくとぅ、うぬまんまあるうんかいまた按司ぬ臣下(しんか)ぬ達(ちゃあ)はじみ百姓(ひゃくしょう)ん住(す)どおたる筈(はじ)やしが、今(なま)あ世(ゆう)ん相変(あいか)わてぃ、良(い)い按配(やんべえ)やる所んかいどぅ住(し)むる。
 やしが、高台からぬ眺(なが)みえ何時(いち)ん変(かわ)わらん、美(ちゅ)らむんやん。

筆:比嘉清。



実え「与那原湾」でぃゆる名ぬ「湾」や無えらん=実は「与那原湾」という名の湾はない。
南城市ぬ北側からぬ湾や諸中城湾んでぃ言でぃちょおん=南城市以北の湾は全て中城湾なのだ。
元々与那原ぬ浜あ遠浅やたくとぅ埋み立てぃらってぃ=元々与那原浜は遠浅だったので、埋め立てられ、
「東浜」っす地ぬ名付きらってぃ、人ん達ぬ住むる所=「東浜」なる地名を付けられ住宅地
とぅなやい、はねえちょおん=となり、にぎやかになったのである。
うちなあんちゅお、住み所とぅしちぇえ、海端とぅか=沖縄の人々は住み所としては海端とか
平原どぅましそおる風儀なてぃ、南城市ぬ奥んかい早くに=平地を好むようで、以前南城市の奥に
造らったる新村「つきしろのまち」や=建てられた新興住宅地「つきしろのまち」は
今ちきてぃ、はねえちぇえうらん=今もって、にぎやかではない。
昔え高台んかいや大概、按司ぬ居る城ぬあたくとぅ=昔は高台には概ね豪族が居る城があったので
うぬまんまあるうんかいまた按司ぬ臣下ぬ達はじみ=その周りを囲むように豪族の家来はじめ
百姓ん住どおたる筈やしが、今あ世ん相変わてぃ=平民も住んでいた筈であるが、時代も変わり、
良い按配やる所んかいどぅ住むる=(いまは)住みよい場所に住むのである。
やしが、高台からぬ眺みえ何時ん変わらん、美らむんやん=だが、高台からの眺めはいつの世も変わらずに美しい。

筆:比嘉清。

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