ジョン万次郎上陸ぬ碑(糸満市)

ジョン万次郎の碑(小).jpg

 ジョン万次郎ぬ事(くと)お、前(めえ)にん書(か)ちゃるむぬやしが、彼(あり)が上陸(じょうりく)しちゃる所(とぅくる)んかい碑(ふぃい)ぬ立(た)てぃらっとおる事(くとぅ)ぬ分(わ)かい写真(しゃしん)抜(ぬ)じいが行(ん)じゃるばすやん。
 ジョンや初(はじ)みから渡海中(とぅけなか)、琉球(りゅちゅう)んかい上陸する積合(ちむええ)さあに、中国(とう)んかい行(い)ちゅるアミリカ商船(あちねえぶに)んかい乗(ぬ)やい、又(また)自(どぅう)ぬボートん載(ぬ)したん。渡海中、ハワイんかい居(をぅ)たる海人(うみんちゅう)ぬ相(ええ)ずう二人(たい)(伝蔵、五右衛門)ん連(そ)うてぃ、まじゅん喜屋武岬(ちゃんみさち)んかい上(あ)がたんでぃぬ事。
 やしが、くまんかいや万次郎一人(ちゅい)ぬ象(かた)どぅ支(し)こうらっとおる。
 今(なま)とお変(か)わてぃ、物知(むぬし)らりん物知ゆる手段(てぃだ)ぬん無(ね)えんたるうにいんじ、日本(にふ)ぬんかい戻(むどぅ)ゆる事ぬ成(な)たしえ、只(ただ)、万次郎くるぬじんぶん故(ゆい)どぅやたる筈(はじ)。
 アミリカ船(ぶに)なかい助(たし)きらってぃ琉球ぬ沖(ううち)、走通(はいとぅう)たるばすジョンや「チャンクミーシ(喜屋武米須)」んでぃぬ地名(じいんなあ)、能(ゆ)う覚(うび)いたんでぃぬ事。

筆:比嘉清。

ジョン万次郎ぬ事お前にん書ちゃしが=ジョン万次郎の事は前にも書いたが、
彼が上陸しちゃる所んかい碑ぬ=彼が上陸した場所に碑が
立てぃらっとおる事ぬ分かい写真=立てられている事を知り、写真を
抜じいが行じゃるばすやん=撮影しに行った次第である。
ジョンや初みから渡海中、琉球んかい=ジョンは初めから航海の途中、琉球に
上陸する積合さあに、中国んかい行ちゅる=上陸する目的で中国行の
アミリカ商船んかい乗やい又自ぬボートん=米商船に乗り込み自身のボートも
載したん。渡海中、ハワイんかい居たる=搭載した。航海途中、ハワイにいた
海人ぬ相ずう二人(伝蔵、五右衛門)ん=漁師仲間二人(伝蔵、五右衛門)も
連うてぃ共に喜屋武岬んかい上がたんでぃぬ事=連れ共に喜屋武岬に上陸した。
やしが、くまんかいや万次郎一人ぬ=だが、ここには万次郎一人だけの
象どぅ支こうらっとおる=象しか造られてない。
今とお変わてぃ、物知らりん物知ゆる手段ぬん=今と違い、情報も通信手段も
無えんたるうにいんじ日本ぬんかい戻ゆる事ぬ=限られた当時、日本へ戻る事が
成たしえ只万次郎くるぬじんぶん故どぅやたる筈=出来たのは只彼の知恵による
アミリカ船なかい助きらってぃ琉球ぬ沖=(遭難時に)米船に救助され琉球沖を
走通たるばすジョンや「チャンクミーシ」=通りかかったとき「チャンクミーシ」
(喜屋武米須)んでぃぬ地名、良う覚いとおたんでぃぬ事=(喜屋武米須)という地名を頭に擦り込んでいたという。

筆:比嘉清。


この記事へのコメント